アマゾン・マナオス3年間

 アマゾンの「Manaus」での生活(1998年4月〜2001年3月)について公開して来ました。
御覧頂き、誠に有難うございました。

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2001年3月20日(火)
「終わりに」

  
 ブラジル・マナオスに赴任が内定した時、最初は不安で胸が一杯だった。電気は通っているだろうか、家は高床式だろうか、裸族が住んでいる?、マラリアは大丈夫?かと。

 しかし、あっという間の3年間だった。最初は日本との違いで、4月・5月はいらいらし、戸惑うこともあった。
 
 2年目は要領が分かって慣れてきた。

 3年目は、うまく適応する知恵が出てきた。つくづく人間はうまくできている。もう2年いれば、更に良かっただろう。出来れば5年間ぐらいがちょうど良いかも知れない。


 マナオスに派遣されて良かったことは、ここの良さを感じることができたことである。日本人学校では、日本の中学校によく見られる児童生徒の問題行動や非行等がなく、教育活動にじっくり取り組むことが出来た。


 また、ブラジル人の「楽天性」・「陽気さ」・「前向き志向」・「物事にこだわらないおおらかさ」等、日本人とは違う人間性を学ぶことができたし、本当に親切な人が多かった。
日本で見られる陰湿な事件等もここでは、全く耳にしなかった。

 休みの日の夕方から夜にかけての外のバールでは、ゆったりとアンタルチカを楽しめた。
特に、ポンタネグラでアマゾン川を見ながら、ジョッギング後のビールは、人生最高の感じがした。

 肌に突き刺さる直射日光もたまには、体に必要だと思うし、悠々と流れるアマゾン川は私の心に落ちつきとやすらぎを与えてくれた。


 逆に生活の不便さや数々の問題点は、今まで気づかなかった日本の良さを見直すいい機会となった。日本料理も今まで以上に好きになった。「かくて歴史は始まる(渡部昇一)」という本にあるように、現在のフランス料理と同様に日本料理が有名な世界食に必ずなると思う。また、「Made in Japan」の価値・信頼性も実感できた。

 多くの問題も持つ日本だが、誇るべき国であると日本を離れてみて実感として感じる。

  ともあれ、新しいことに取り組むことは非常に興味があるし、問題が出てきたら、それはそれで対処することが良い体験になることを改めて認識した。

  これまで、マナオスで一緒に生活をした日本人学校の児童・生徒、保護者、職員、日本文化振興会、企業の駐在員、現地日本人・日系人、ブラジル人等、お世話になった方々に、心よりお礼を申し上げる。
 特に、駐在員の方、領事館の方、日伯の方、日系人の方には、大変お世話になった。休みの日にアマゾンクルーズ等で、広大な川を見ながら、ゆっくりと人と語り合い、人生のあり方や大切なことを教えてもらった。

 また、このような機会を与えてくださった方々に、感謝を申し上げて終わりの言葉にする。

 
        (写真は、アパートから撮影したアマゾンの虹)

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